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おだやかな生活が急変したのは1998年8月14日。家族でハイキングを楽しんでいた箱根の山道でご主人が不整脈で突然倒れ、なんと崖下に転落。一瞬で帰らぬ人になってしまったのです。「夫婦ゲンカは一度もしたことないんです。本当にいいお父さんだったの。だからどうしても信じられなくて……」と語る政子さんの目に、みるみる涙があふれます。とてつもない悲しみの中、一家はすぐに帰宅して自宅で葬儀を執り行い、お盆休みあけの17日から予定通りに加工所の営業を再開します。大黒柱を亡くした仕事場を家族と親戚が精一杯支え、ピンチを乗り越えたのでした。「1年は泣いて暮らしました。でもよく考えたら、サラリーマン家庭と違ってお父さんと私は24時間ずっと一緒にいられたんだものね。ありがたかったと思わなくちゃ」。
2001年、一家は思い出深い自宅を全面建て替え。4階建てマンションの1階に加工所、4階に自宅を構え、2・3階には賃貸マンションを10室経営することになりました。ご主人の不幸が、加工所と家族の将来設計を改めて考えるきっかけになった部分もある、と政子さんは語ります。
現在もお嫁さんと共に家事をこなし、朝9時から夕方5時まで加工所のミシン縫いを担当。夕食後には、柄付け前の白生地や染め上がった反物を着物の形にするために手縫いする「仮絵羽」の仕事に没頭する政子さん。「昔お父さんによく“おまえはいつも楽しそうに縫い物をしてるな”って言われて。当時と同じように縫い物をする、その時間がとっても楽しいのよ」。大好きなピアノ音楽をBGMに、チクチクと針が進んでいきます。
近所の仕事仲間がことあるごとに相談にやってくる、“着物の生き字引”的な存在の政子さん。「私が誰かのお役に立つのなら、それだけで十分幸せですよねぇ」。その充実感ゆえでしょうか、70歳を目前にした年齢にはとても見えない若々しさに、思わず見愡れてしまった私たちでした。
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| 義母の得意料理だったけんちん汁を、政子さんが見よう見まねで作るようになったのは、嫁いで間もない20代の頃から。「母は口数の少ない人でしたから直接教わったことはないけど、後ろ姿を見ながらいつの間にか覚えたのがこの味です。いつもたくさん作って、職人さんたちや子供たちの友達、近所の皆さんに食べてもらっているんです」。豆腐をゴマ油で炒めて、スを入れるようにしてから煮るのがコツだそう。ホームパーティーには必ず登場する人気メニューです。 |
撮影協力〈敬称略〉/吉沢 敏(吉澤湯のし加工所)
構成/松田優子 撮影/小川玲子 取材・文/水野成美 |
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