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割烹での働きぶりが認められ、40代には小料理屋の女将をまかされるようになります。さらに、50代半ば頃からは老人ホームの介護ヘルパーとして家事全般も担当、57歳で夫を亡くした悲しみも乗り越えました。当時は55歳が定年だったヘルパーを、年齢を伏せて70歳までつとめたというから驚きです。そして2000年春、長女の正枝さんが赤坂に郷土料理店を出すことが決定。智恵子さんも腕をふるうことになり、以来5年間、ほぼ毎日お店に立ってきました。
「何事もクヨクヨと思い悩まない性格なんです。お客様にもいつも言うのよ、『たまにはバカになってごらん、気楽でいいわよ!』って(笑)」。陽気で前向き、料理上手な働き者。チャーミングな智恵子さんに、故郷の母を重ね合わせる人も多いようです。ほら、今夜も智恵子さんを慕ってお客様が集まってきました。 |
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| 神主をしている実家に、近所の人がよく来ていましてね。食糧不足の時代でしたが、母は芋煮はっとをたくさん作っては、畑仕事から帰ってくる人たちに「寄っていきませんか」と声をかけて。みんな野良着のままおいしそうに食べてドブロクも呑んで。次の日はうちの薪割りを手伝いにきてくれましたよ。貧乏な時代でしたけど、ご近所じゅうの人と仲良しで楽しかったわ。私が人に料理をふるまうのが好きなのは、あの頃の母を見ているからなんでしょうね。 |
取材協力/「仙台とろ牛タン三陸珍味
地酒 岸浪漫」
電03-3589-6002
構成/松田優子 撮影/小川玲子 取材・文/水野成美 |
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